池上比沙之さん

池上比沙之さんが亡くなった。友だちが亡くなるのは悲しい。それが近くにいた人ならなおさらで、池上さんにはオーケストラをはじめる前から、仕事、遊びなど仲よくさせてもらった。足利のワイナリーにも何度か行って一日ワインを飲んで(もちろん演奏もしたけど)、たわいない話や深淵な話をしたりして飽きることがなかった。アマチュア無線をやっているといったらぼくもやっていたなどと話が返ってくるし、なにを話してもそうで、こういう人も世の中にはいるんだと尊敬の眼で見ていた。アルバムのライナーノーツも書いてもらった。最新のは2016年の市野元彦さんとの「Childhood」だった。昨年(2021年9月)のせんがわジャズ祭では池上さんと対談する幸運に恵まれた。ひとりで話せばとっ散らかってしまう話も池上さんのおかげでうまくまとまった。
もう少しいっしょにいたかった。親しい人がいなくなるのは自分がいなくなるのと同じだ。
さようなら。

4月は

4月はいずみたく、中村八大の亡くなって30年のコンサートがあってちょっと落ち着かなかった。このところショー(というかステージ)の仕事をやってなかったのでその感じをすっかり忘れていて、ただピアノを弾くだけなのに、なにをどうしていいのかわからなくて、初心者のようになっていた。そうか、いまは別の世界にいるんだなあとつくづく思った。
同じ音楽をやっていてもその考え方、もちろん感じ方も人によってずいぶん違う。あたり前といえばあたり前だけど、音楽を仕事にしていれば、そういう世界ともつき合っていかなくてはならない。いや、いい歳になったからこれからは好きなことだけして、というのもあるかも知れないけれど、ずっとコマーシャル業界で仕事をしてきたのだ(いまはあまりしていないが)、そういう仕事の仕方しか知らない。
いまはピアノを弾くのが一番だ。テクニックはないけれど、どうしたら美しく聴こえるかだけを考えて弾いている。モーツァルトもベートーベンもバッハも弾けないけれど、それだけで音楽をやっていると感じる。心のどこかで誰かがそういうのだ。

ジョニー・マティスの古いアルバム

CDを整理してたらジョニー・マティスの「A New Sound In Popular Music」というアルバムが出てきた。これは昔(60年くらい前か)渋谷の百軒店にあった古道具屋の隅に積まれていたLPを、なにかないかと一枚一枚調べていて見つけたそれのCD化されたものだった。LPは埃まみれでチューインガムが張りついてたりするひどいものだったけれど、内容がずっと探していたものだったので繰り返し聴いた。
ジョニー・マティスはジャズ歌手ではないけれど、このアルバムはギル・エバンス、ジョン・ルイス、マニー・アルバム、テオ・マセロ、ボブ・プリンス、パーシー・フェイス、レイ・コニフなどがアレンジをしていて、ギル・エバンスとジョン・ルイスのアレンジが聴きたかったのだ。中ではPrelude To A Kissのジョン・ルイスのピアノソロがよかった。アレンジはジョン・ルイスもギル・エバンスもその片鱗が聴こえるといった程度だったか。
しかし不思議なアルバムだ。1956年録音とあって、よく見たらプロデューサーはGeorge Avakianだった。なるほど!

2022年1月

おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
今日(1/7)はアケタの店で古澤良治郎新春スペシャルセッション。毎年この日にやってて、古澤さんが最後までやっていた「ね.」というグループを中心にたくさんのメンバーが参加します。ぼくもいつからかやっていてずっとやっています。
古澤さんの活動は広範囲だったので全体を把握するのは難しいけれど、そんなことを考えなくても「ね.」だけを聴いていても古澤さんがわかると思っています。だって古澤さんの一番いいところがすべて「ね.」にあると思うから。もちろんあのドラムの素晴らしさは「ね.」ではわかりませんが、それは古澤さんのアルバムを聴けばいいわけです。
この日のセッションが終われば関西に行ってきます。沢田穣治さん、山内詩子さんとセッション、つづいて翌日は山内さんとduoの活動している東ともみさん(guestに平田王子さん)とduo、その翌々日には山内さん、東さんと3人で、最後の日はついこの間アルバム「Good-bye -浅川マキを抱きしめて-」を発表した伊香桃子さんとduoとなんだかにぎやかになった。

もう11月だ

11月になった。このところ特に忙しいこともないから年末まで何事もなく過ごせると思う(だったらいいけど)。
来年が大変そうな気がするけれど、まだわからないことをあれこれ考えてもしょうがないから、そうなったらまたそのときに考えるとして、
今月は北海道に行ってくる。といっても札幌周辺だけで、これは札幌の勝田さんが声をかけてくれたからで、せっかく行くのならそのライブの後に栗渋(栗田妙子さんとのduo)でちょっとだけまわってくることにした。小樽のフリーランス、札幌のジェリコ、洞爺の杢(もく)、室蘭の満冏寺(まんけいじ)。ジェリコはちゃんとやるのははじめてかも知れない。満冏寺ははじめてだ。
札幌では東京にいた川村年勝さんに会える。コロナも少し落ち着いているようでよかった。ちょっと前だったら会うこともできなかった。
洞爺の杢には昔の伊達ジャズクラブの友だちがきてくれるはずだ。楽しみだなあ。ぼくの北海道の旅はここからはじまったのだった。50年近く前の話だ。はじめて伊達に行ったとき、面白いところがあるから、と案内してもらったのがシブヤシゲヨシさんのところだった。シゲヨシさんのことは前にblogに書いたので、興味がある人は見てください。

さあ、9月だ

峰厚介 with string のコンサートが終わった。アレンジがなかなか進まなくて早く解放されたいと思っていたから、さぞいい気分だろうと思いきや、そうでもなかった。もちろん悪い気分ではないけれど、もっと、うれしくてその辺りを走り回るんじゃないかと思ってた(犬じゃあるまいし)。
これで今年の夏は終わりだ。
9月は松倉如子さんとひさしぶりに桜座に行く。松倉さんは桜座ははじめてだという。大丈夫、どこにいても松倉さんが歌えばもうそこは松倉さんの世界だ。翌日は甲斐大泉(八ヶ岳南麓)の草布絵というところ。5月にいつも行くチャンドラに行ったときに偶然立ち寄った。コンソール型のピアノが二台ある。そのほか面白い楽器もたくさんあるちょっと不思議な場所だ。

ちょうどキノコの季節だ。天気がよければその辺りを探してみたい。

山川啓介ソングブック

山川啓介(井出隆夫)さんの作品集「リリシスト-山川啓介ソングブック-」が発売された。5枚組で厚いブックレットがついている。
山川さんとは、いずみたくさんのオールスタッフプロダクションで知り合った。会社は材木町にあって、その4階にスタッフルームというのがあって(机が四つと電気ピアノがあった)、そこで毎日譜面を書いていた。そこに突然登場したのが(少し前からいたに違いないけれど)井出隆夫さんだった。いずみさんは、その頃一手に仕事を引き受けていた山上路夫さんが忙しくなったので詞と台本を書く人を探していたんだろうと思う。
スタッフルームでは机を並べて仕事をした。限られた時間でする仕事がほとんどだから、いつもあわただしくてゆっくり話をした記憶もない。
オールスタッフプロダクションはその頃が全盛で一時は社員が100人くらいいたんじゃないかと思う。
「おかあさんといっしょ」の仕事は井出さんから話があった。井出さんは既に福田和禾子さんと子どもの歌を作っていて、また「おかあさんといっしょ」の台本も書いていた。
やがてこちらも独立してオールスタッフに行くことも少なくなり井出さんも独立したはずだ。
1995年くらいだったか、由紀さおり・安田祥子姉妹のアルバムを作ることになって、一年ちょっとかかって(なにしろ一ヶ月に1曲づつ作っていったのだから)「あの時、この歌〜オリジナル・ソング・ブック」ができた。これは忘れられない仕事になった。
仕事はひとりではできない。ずいぶん仕事をしたように思うけれど、もっといろいろやりたかった。

さて7月

さて、7月だ。いままでなにをやっていたかといえば、なにもやっていない。毎日のすることをただやっていただけ。
6月は、関西にちょっとだけ行ってきた。この前(昨年か)やったウタモモさん(vo)とやって、毎年この時期にやっている「しぶやさんと123 !!!」をやって、昨年できなかった山内詩子さん(vo)と奈良のブルーノート、大阪のSをやって、その後は大阪の秘境、能勢の気游に行ってきた。

ウタモモさんは浅川マキさんが好き、という以上に大好きな歌手で、今回もマキさんの歌と彼女のうたを、「しぶやさんと123 !!!」は「しぶやさんといっしょ」の関西版で、いつものようにナガオクミさん(vo)がメンバーを集めてくれていて、ぼくは行ってただやればいいという、夢のようなライブ。今回はまた華乃家ケイさんがguestできてくれて相変わらずのすばらしい歌を聴かせてくれた。
山内詩子さんとは2days。昨年秋のライブが急の腹痛でできなくなって、もう一度、というライブだった。

最後は大阪能勢の気游に行ってのんびりしてきた。気游に行けば、ただぼんやりしてるだけで時間が過ぎて行く。なにもしないことを気にかけることもない、理想郷!
あ、それから6/30にワクチンに行ってきました。2度目は7/21。

6月15日

小林亜星さんが亡くなった。いずみたくさんの手伝いをしていた頃、いずみさんだけではなくてずいぶんいろんな人の手伝いをした。三保敬太郎さん、中村八大さん、小林亜星さん、あの前田憲男さんのところにも行ったのだから驚きだ。手伝いどころか邪魔しに行ったようなものだ。できるできないじゃなくてそういう人たちの近くにいることがうれしかったんだろう。
いずみたくさんは中学か高校の頃から知っていて、ほんとにいろいろ世話になった。恩人と呼べるのはいずみさんだけだ。
おかあさんといっしょの越部信義さんも亡くなった。福田和禾子さんもいない。知ってる人が誰もいなくなるなあ。後10年くらいか。

渋谷毅の音楽史

こんなライブをやった。以下、Facebookの投稿から。

渋谷毅の音楽史か(笑)。こんなライブをするのはもうすることがなくなったというのと同じような気がして、もしそうなら喜んでいいのか悪いのかわからない。自分がやってきたことを振り返ってみるなどというのも(若ければそんなことはしないから)こちらの年齢を再確認するだけで、まあ、素直に自分のやってきたことを肯定したいのだ、くらいにいえば、人間はそういうものなのかという大問題に行きつく。また、老後の愉しみという考え方もあって、それについてはいろいろ考えたり実行もしてきたけれど、そんな余裕がある老後がくる保証はないのに最近気がついた。
暇つぶしというところか。